文化財・文化遺産
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道標 兼平堤

道標 兼平堤
区分 未指定
種別 道標
材質・形状 アルミ製角柱
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佐織町から市内へ入る道として天王川の左岸の堤(旧上街道)が利用されていた。応永10年(1403)津島牛頭天王の鐘を造ったところから、この堤を「鐘平堤」と呼ぶようになった。堤の近くには古い家並も多く、江戸時代には巡見使(幕府の見まわり役人)が通ったので「巡見街道」ともいわれた。このあたりは肥料・材木などの問屋、日用品などを作るかじ屋が多く、二本マストの荷船で品物が運ばれていた。宝暦9年(1759)橋詰町と向島(天王島)に掛けられていた大橋が取り払われ、天明5年(1785)に仕切り堤が築かれたので後になって上流は蓮田や水田に利用された。

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